2015年4月30日木曜日
西田幾多郎 無の哲人:禅の思想から日本哲学へ
「基礎研究は、その人個人個人の『情熱』に依存している」
或教授の退職の辞( 西田幾多郎 )
「基礎研究は
結局その人個人個人の『情熱』に依存している」と言うことを検討します
なぜ情熱が必要になるのかと言うことを考えると、
「ハンモン → 煩悶(苦しくなるほど思い悩むこと)」と言うことを思い付きます
研究は研究課題の難しさや競争などの環境を含めた問題を解決していくために
考えつづける必要があります
考えることにより悩みが生まれ、その悩みをさらに深めていく必要があり、
そのために文学や哲学は大変参考(あるいは解決を示してくれること)になると思います
「悩みを深めて行く」ために情熱が必要となるのではないかと思います
私の場合、「或教授の退職の辞( 西田幾多郎 )」は
上記の参考例になったように思います
そこで参考としてその文章を提示します
或教授の退職の辞( 西田幾多郎 )
これは楽友館の給仕が話したのを誰かが書いたものらしい、
而もそれは大分以前のことであろう。
初夏の或晩、楽友館の広間に、皓々《こうこう》と電燈がかがやいて、多くの人々が集った。この頃よくある停年教授の慰労会が催されるのらしい。もう暑苦しいといってよい頃であったが、それでも開け放された窓のカーテンが風を孕《はら》んで、涼しげにも見えた。久しぶりにて遇った人もあるらしい。一団の人々がここかしこに卓を囲んで何だか話し合っていた。やがて宴が始まってデザート・コースに入るや、停年教授の前に坐っていた一教授が立って、明晰なる口調で慰労の辞を述べた。停年教授はと見ていると、彼は見掛によらぬ羞《はに》かみやと見えて、立つて何だか謝辞らしいことを述べたが、口籠ってよく分らなかった。宴が終って、誰もかれも打ち寛いだ頃、彼は前の謝辞があまりに簡単で済まなかったとでも思ったか、また立って彼の生涯の回顧らしいことを話し始めた。
私は今日を以て私の何十年の公生涯を終ったのである。私は近頃ラムの『エッセー・オブ・エリヤ』を取り出して、「老朽者」という一文を読んだ。そしてそれが如何にもよく私の今日の心持を言い表しおるものだと痛く同感した。回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼《く》べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転《うた》た水の流と人の行末という如き感慨に堪えない。私は北国の一寒村に生れた。子供の時は村の小学校に通うて、父母の膝下で砂原の松林の中を遊び暮した。十三、四歳の時、小姉に連れられて金沢に出て、師範学校に入った。村では小学校の先生程の学者はない、私は先生の学校に入ったのである。然るに幸か不幸か私は重いチブスに罹《かか》って一年程学校を休んだ。その中、追々世の中のことも分かるようになったので、私は師範学校をやめて専門学校に入った。専門学校が第四高等中学校と改まると共に、四高の学生となったのである。四高では私にも将来の専門を決定すべき時期が来た。そして多くの青年が迷う如く私もこの問題に迷うた。特に数学に入るか哲学に入るかは、私には決し難い問題であった。尊敬していた或先生からは、数学に入るように勧められた。哲学には論理的能力のみならず、詩人的想像力が必要である、そういう能力があるか否かは分らないといわれるのである。理においてはいかにも当然である、私もそれを否定するだけの自信も有ち得なかった。しかしそれに関らず私は何となく乾燥無味な数学に一生を托する気にもなれなかった。自己の能力を疑いつつも、遂に哲学に定めてしまった。四高の学生時代というのは、私の生涯において最も愉快な時期であった。青年の客気に任せて豪放|不羈《ふき》、何の顧慮する所もなく振舞うた。その結果、半途にして学校を退くようになった。当時思うよう、学問は必ずしも独学にて成し遂げられないことはあるまい、むしろ学校の羈絆《きはん》を脱して自由に読書するに如《し》くはないと。終日家居して読書した。然るに未だ一年をも経ない中に、眼を疾《や》んで医師から読書を禁ぜられるようになった。遂にまた節を屈して東京に出て、文科大学の選科に入った。当時の選科生というものは惨《み》じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒《お》えてからすぐ田舎の中学校に行った。それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身共に壮《さかん》な、人生の最もよき時であった。多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思えなかった。然るに歳漸く不惑に入った頃、如何なる風の吹き廻しにや、友人の推輓《すいばん》によってこの大学に来るようになった。来た頃は留学中の或教授の留守居というのであったが、遂にここに留まることとなり、烏兎怱々《うとそうそう》いつしか二十年近くの年月を過すに至った。近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨《しょうま》して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君のこの厚意に対して、心|窃《ひそか》に忸怩《じくじ》たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。諸君も屍に鞭《むちう》たないという寛大の心を以て、すべての私の過去を容《ゆる》してもらいたい。
彼はこういうようなことを話して座に復した。集れる人々の中には、彼のつまらない生涯を臆面もなくくだくだと述べ立てたのに対して、嫌気を催したものもあったであろう、心窃に苦笑したものもあったかも知れない。しかし凹字形に並べられたテーブルに、彼を中心として暫く昔話が続けられた。その中、彼は明日遠くへ行かねばならぬというので、早く帰った。多くの人々は彼を玄関に見送った。彼は心地よげに街頭の闇の中に消え去った。(昭和三年十二月)
底本:「続思索と体験『続思索と体験』以後」岩波文庫、岩波書店
1980(昭和55)年10月16日第1刷発行
底本の親本:「西田幾多郎全集第十二巻」岩波書店
1950(昭和25)年
初出:「思想 第八十三号」
1929(昭和4)年4月
2006年3月20日作成
青空文庫作成ファイル
2015年4月26日日曜日
超音波洗浄機実験 Ultrasonic cleaning machine experiment
脱気・マイクロバブル発生液循環
(超音波制御技術)
この動画は
通常、オーバーフロー・・による流れで
空気が大量に水槽に入り、
超音波が大きく減衰するという現象が
起きない液循環の状態を紹介しています
ポイントは
適切な超音波と液循環のバランスです
液循環の適切な流量・流速と超音波(キャビテーション)の設定により
超音波(音響流・加速度効果)の伝搬状態をコントロールしています
脱気・マイクロバブルの効果で
均一に広がった超音波の伝搬状態です
液循環により、以下の自動対応が実現しています
溶存気体は、水槽内に分布を発生させ
レンズ効果・・・の組み合わせにより、超音波が減衰します
もうひとつは
適切な超音波照射時は、大量な空気・・が水槽内に取り入れられても
この動画のように、大きな気泡となって
水槽の液面から出ていきます
従って、超音波照射を行っていない状態で
大量にオーバーフローを行い続けると減衰します。
しかし、この空気を入れる操作は必要です
多数の研究報告・・がありますが
液循環の無い水槽で、長時間超音波照射を行い続け
溶存気体の濃度が低下すると
音圧も低下して、キャビテーションの効果も小さくなります
(説明としては、キャビテーション核の必要性が空気を入れる理由です)
超音波照射により、脱気は行われ
溶存気体の濃度は低下して、分布が発生します
単純な液循環では、この濃度分布は解消できません
マイクロバブルの効果です
脱気・マイクロバブル発生液循環が有効な理由です
超音波洗浄機実験 Ultrasonic cleaning machine experiment
超音波水槽の液循環技術
1)超音波専用水槽(オリジナル製造方法)を使用しています
2)水槽の設置は
1:専用部材を使用
2:固有振動と超音波周波数・出力の最適化を行っています
3)水槽内に2台の超音波振動子を設置しています
4)脱気・マイクロバブル発生装置を0.5時間運転した状態です
(溶存酸素濃度は5-6mg/l)
5)水槽と超音波振動子は表面改質を行っています
6)超音波振動子(仕様 28,72kHz 300W)を使用しています
散歩(土光敏夫 ::超音波システム研究所)
散歩
土光敏夫
「国民の皆様へ」と題したメッセージ
行政改革は、21世紀を目指した新しい国造りの基礎作業であります。
私は、これまで老骨に鞭打って、
行政改革に全力を挙げて、取り組んでまいりました。
私自身は、21世紀の日本を見ることはないでありましょう。
しかし、新しい世代である、
私達の孫や曾孫の時代に、
我が国が活力に富んだ明るい社会であり、
国際的にも立派な国であることを、
心から願わずにはいられないのであります。
「 創造的な分野で能力を発揮させることが、
人間の可能性を生かすというのである。 」
「 個人の生活は質素に、社会は豊かに 」
国民が、国家のリーダーが、
自分の生活よりも「社会の豊かさ」を目指すことが、
質素だが幸福な生活を送れる
発明(INVENTION)
-(ノーバート・ウィナー) みすず書房 1994
・・・発明は、職人の段階へ達するまでは完了しない。
・・革新の過程における真に重要な一歩は、
少なくとも多くの場合には、
知的風土の変化そのものに他ならず、
それはしばしば産業的利用に数十年も先立つ。
<<< 個性的な科学者は、その本性上、
自分の真価に対する報酬は金銭にではなく
自由にあると考えねばならない >>>
<< 事例 >>
新しい脱気装置の利用により、
安定した超音波を強く使用できることで大きな効果を出しましたが
技術的な納得が得られませんでした
(なぜかなんとなく不自然さを感じていました)
もう一度「自由」に検討を続けた結果、
<ジャグリング制御>の発見により
「脱気マイクロバブル発生装置は原理としては不要であること」
しかし「実用的には有効であること」
の根拠がわかりました
ビジネスや企業の論理では、
新製品をすぐに否定する検討が行える「風土」は難しいとおもいますが
重要なことだと思います
開発について
我々は、一般者的自己限定という一方的限定によるのではなくて、
逆に個物的自己限定する、創造的な「歴史的実存」であるのです。
この「一般者的自己限定」と「個物的自己限定」の「矛盾的自己同一」に、
「場所的論理」の焦点があり、これが「場所的限定」の生命となるのです。
秋月龍眠 現代を生きる仏教 (新書) 平凡社 (2001/09)
深さというものは模倣しえるものでなく、
学び得られるものでもない。
西田哲学の深さは先生の人間的な豪さに基づいている。
三木清 師弟問答西田哲学 出版社: 書肆心水 (2007/03)
コメント
実際に、新しいシステムや装置を開発する場合に、
「ソフトウェアのオブジェクト」・機械構造・機械要素からの限定はあります。
そして、開発者・設計者の主観による限定もあります。
個人や装置のこれまでの経験や経緯(歴史)に基づいて統一することが、
開発(工学)であるように感じています。
従って、この過程から創造が生まれているように思います。
ひとつの例ですが、
smalltalk等のコンピュータ環境が
「言語であり、環境であり、オブジェクトであり、クラスであり、・・」
と言うことを統一してSqueakとなり
さらに新しく展開している状況があると思います。
超音波システム研究所
独創(岡 潔)
数学は語学に似たものだと思っている人がある。寺田寅彦先生も数学は語学だといっているが、そんなものなら数学ではない。おそらくだれも寺田先生に数学を教えなかったのではないか。語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。
また、数学と物理は似ていると思っている人があるが、とんでもない話だ。職業にたとえれば、数学に最も近いのは百姓だといえる。種子をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある。これにくらべて理論物理学者むしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理学者は、ド・ブロイ、アインシュタインが相ついで、ノーベル賞をもらった一九二〇年代から急速にはなばなしくなり、わずか三十年足らずで一九四五年には原爆を完成して広島に落とした。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。いったい三十年足らずで何がわかるだろうか。わけもわからず原爆を作って落としたに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかってはいまい。
独創するために心境を用意することがどんなに手間のかかることか。(岡 潔)
2015年4月25日土曜日
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