2026年7月2日木曜日

反秀才論より

 秀才の方法


「『既存の最先端理論』や『既存の最先端研究』の成果を捜し出して、
それをもとに自分の問題に当てはめようとする」だろう。
そして、こういった「ひな形(=教科書的事例)」がない場合には、この方法は決してうまく行かない。

反秀才の方法

自分で実験してみた経験から出る、
 「反秀才」の神憑かり的な直観力が物を言うのだろう。

日本の反秀才の方法(石井孝雄(日本オイルシールNOK総合技術研究所)

1)本を読むことではなく、
 実験装置を作ることでもなく、シールにたずさわったことのある人を求めて
 内外を問わず接近し、現場の職人たち(頭でなく、
 いわば皮膚感覚でオイルシートを知っている人たち)の言に耳を傾け、
 それを収録してまわった。

2)これら多くの真実らしき断片を見据えて、
 その奥にある統一的メカニズムを描像することだった。

基本となった考え方
 「『要はまじめに働けばよいのだ。
 日本人だって煎じつめるとそれだけではないか。
 そして環境さえ醸成すればどんな人種でも特に貧しい人なら必ず、
  まじめに働くのだ。』という彼の発見した法則は普遍的である。

秀才と反秀才の違いは
 「ロゴス(論理)」と「パトス(情念)」で見極められる。
 つまり、秀才に共通するもの「知能」の高さであり、
 反秀才に共通するものが「情熱」の大きさである。

われわれ理論研究においても、歴史は、
大学や国立の研究所以外のごく民間人が大貢献してきたのである。
フェルマーの定理のフェルマーは法律家であった。
ニュートンですら一地方公務員であるときに素晴らしい業績を残している。
ルベーグは高校の先生、グリーンの定理のグリーンは学外の独学者であった。
もちろん、アインシュタインは特許局員にすぎなかった。
フェルマーの定理を証明したワイルス博士も
その証明の時には、一種の在宅研究者であった。

こういう人々は非常に多い。
確かに教育は大学、大学院で受けることもあるが、
基礎研究は結局その人個人個人の『情熱』に依存しているからである。

この意味では、理論研究であったとしても、
基本的には、実験研究や開発と同じで、私設研究所、
個人研究所が非常に大きな役割を果している、ということである。


反秀才論: NASAの研究生活の中から
柘植 俊一 (著)  出版社 ‏ : ‎ 読売新聞社 発売日 ‏ : ‎ 1990/3/1




石井孝雄様の言葉
「あなたが 自分で導き出した研究成果で、
 <自分が幸せになり、研究を利用させてやった相手も幸せになり、
  そして、世の中の人すべてが幸せになる> ように、

 研究発見の結果に、タフな生命を吹き込むには、
 ベンチャーを育てあげた経験のある立派な見識をもった人を探し出して、
 その人から体験を聴きなさい。
 御指導を仰ぎなさい。と、感じていたんです。」


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