2012年4月19日木曜日

散歩(調和・・・)



散歩




朝永振一郎
『物理学とは何だろうか』上・下
1979 岩波新書


・・・

このときカルノーは蒸気エンジンのかわりに

ピストンのついた空気エンジンを構想するのだが、

そこで「熱だめ」や「ピストンをじわじわと動かす」

という段階が必要になる。



ボルツマンが狙ったことは、

確率論と力学の関係をはっきりさせたいという、

その一点に尽きる、



もしボルツマンが長生きしていたら、

ボルツマンが時代をまとめる科学を構築したかもしれない

・・・・


コメント
上記の全体的な思考は
強い「直感と意志」から生まれていると感じます


「直感と意志」 西田幾多郎:著

私は昔、プロチノスが自然が物を創造することは直観することであり、
万物は一者の直観を求めると云つた直観の意義を、
最能く明にし得るものは、我々の自覚であると思ふ。

自覚に於ては、我が我を対象として知るのであり、
知ることは働くことであり、創造することである、
而して此の知るといふことの外に我の存在はない。

.........

併し作用が作用の立場に於て反省せられた時、
時は更に高次的な立場に於て包容せられて意志発展の過程となる。
而して乍用の乍用自身が自覚し、創造的となる時、
意志は意志自身の実在性を失つて一つの直観となる。

而してかゝる直観を無限に統一するものが一者である、
一者は直観の直観でなければならぬ。




ものごとは、心で見ないと良く見えない
いちばん大切なことは、目に見えない   星の王子さま

詩人でないものは数学者になれない   湯川秀樹

数学の本体は調和の精神である   岡潔


コメント
調和・・・
設計(工学)の本質も調和のように思います

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