2012年3月5日月曜日

ultrasonic wave



岡 潔」のことばより考えた

ものづくりに必要なこと


心の世界

を見ればが笑みかけていると思い、

小鳥を聞けば小鳥の声が呼びかけていると思う。

他がんでいればしく、

他がしんでいればしく、

みんなのために働くことに無上の幸福を感じる。

なんの疑いもない。これが心である。

・・・・・

人には心が二つある。そして二つしかない。

一つは心理学の対象となっている心であって、

この心は、私を入れなければ動かないし、

わかり方は必ず意識を通す。

これを第一の心ということにする。

欧米人は太古以来、この心しか知らないのである。


第二の心は頭頂葉に宿っている。

これは無私の心である。

わかり方は意識を通さない。


 第一の心は、心理学者は知らないだろうが、

本当は物質的自然界全体に及んでいる


自然科学者の暗黙の自然の説明が、

初めに時間・空間があると思うのはそのためである。


 人は本当は

第二の心の中の

物質的自然界の中に住んでいるのである。

私たちは無量の情緒に包まれた

物質的自然界の中に住んでいるのである。


コメント

正しいとか正しくない以前に

自分の思考について、

アイデンティティをしっかり持つことの重要性と、

考える深さを教えられるように思います


人が何かを考えることはどういうことなのでしょうか

アイデアは第一の心では発明でしょうが

第二の心では発見(あるいは 無)でしょう


心の自覚自分の場所にしっかり落ち着かせることで

安心した状態で、物事に取り組めると考えています


毎日の積み重ねを続けていきたいとおもいます

ものづくりの背景には

ここまでの思考が必要だと考えています





○情緒

一九二九年から一九三二年まで私はフランスにいた。

その間に、私は次のような「不思議」に目覚めた。

俳句はわずか十七字の短詩である。

自分の句の「評価」をどうしてするのだろう。


今日非常によく出来たと思っても、

翌日には、昨日のあれは気のせいだったと思うかもしれない。

むしろ今日の喜びが大きければ大きいほど、反動として、

翌日はそれを強く否定してしまいたくなるだろう。


ところで芭蕉は本当によい句というものは、

十句あれば名人、二句もあればよい方である、

という意味のことを言っている。


こんな頼りないものの、

わずか二句ぐらいを得ることを目標にして生きてゆくというのは、

どういうことだろう。


にもかかわらず、芭蕉の一門は全生涯をこの道にかけたようにみえる。


どうしてそのような、

たとえば薄氷の上に全体重を託するようなことができたのだろう。


この問題は在仏中には解決できなかった。

帰ってからよく調べているうちに、

だんだんわかってきたのであるが、その要点をお話しよう。


「価値判断」が古人と明治以後の私たちとで百八十度違うのである。


一、二例をあげると、古人のものは、

「四季それぞれよい」「時雨のよさがよくわかる」

である。


これに対応する私たちのものは、

「夏は愉快だが冬は陰惨である」「青い空は美しい」

である。


特性を一、二あげると、私たちの評価法は、

他を悪いとしなければ一つをよいとできない。


刺激をだんだん強くしてゆかなければ、同じ印象を受けない。


こんなふうである。これに対し古人の価値判断は、

それぞれみなよい。


種類が多ければ多いほど、どれもみなますますよい。


聞けば聞くほど、だんだん時雨のよさがよくわかってきて、

深さに限りがない。こういったふうである。


芭蕉一門はこの古人の評価法に全生涯をかけていたのであった。


この古人の評価法の対象となり得るものが情緒なのである。


∽ ∽ ∽ ∽



数学は語学に似たものだと思っている人がある。

寺田寅彦先生も数学は語学だといっているが、

そんなものなら数学ではない。


おそらくだれも寺田先生に数学を教えなかったのではないか。

語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。


それから先が問題なのだ。

人間性の本質に根ざしておればこそ、

六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。


また、数学と物理は似ている

と思っている人があるが、とんでもない話だ。


職業にたとえれば、

数学に最も近いのは農業だといえる。


種子をまいて育てるのが仕事で

そのオリジナリティーは

「ないもの」から「あるもの」を作ることにある


数学者は種子を選べば、

あとは大きくなるのを見ているだけのことで、

大きくなる力はむしろ種子の方にある。

これにくらべて理論物理学者むしろ指物師に似ている。


人の作った材料を組み立てるのが仕事で、

そのオリジナリティーは加工にある。

理論物理学者は、ド・ブロイ、アインシュタインが相ついで、

ノーベル賞をもらった一九二〇年代から急速にはなばなしくなり、

わずか三十年足らずで一九四五年には原爆を完成して広島に落とした。


こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、

とても百姓にできることではない。

いったい三十年足らずで何がわかるだろうか。

わけもわからず原爆を作って落としたに違いな

いので、

落とした者でさえ何をやったかその意味がわかってはいまい。


独創するために心境を用意することがどんなに手間のかかることか。(岡 潔)



工学的なことについて

コメント

工学は現実的なバランスを設定して

実際にものづくりを行うと言う

大変な作業であり、山積みの課題に対する

責任をもった妥協の産物だと思います


技術者が技術を広めるために必要な事柄について


それは「技術への情熱・信念」と


現実的な態度・判断力・責任感


決断を下すには、当然「信念」がなければならない。

結果を十分認識した上での「冷静な判断力」も欠かせない。

しかし、その実行のためには、周囲の同意を得なければならない

そこで説得の作業が必要になる

では、相手を説得する上で大事なことは何か。

情と理」が尽くされたものではないか。


・・情熱、人の心をつかむ何か、信念、魂、魂の揺さぶり

・・論理的思考、整合性、理性的な判断


コメント:最近はこのようなことが大切な気がしています

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